集賛舎の歴史
石版印刷機

石版印刷機

▶️武士社会の終焉。士族の失業

明治元年(1868)の明治維新により武家社会は終りを遂げました。廃刀令により職を失った士族は農工商の職業に転職を余儀なくされ、政府の士族授産政策のもと、内地の殖民・開墾と北海道の移住・開拓、家禄奉還による就産資金の譲与、授産資金の貸与を受け起業するものなどがありました。
しかし、封建制度から資本主義社会へ移行する過渡期であったため、経済変動や社会変動が激しく、政府の思惑とは裏腹に士族の事業は数件の成功を除き、ほとんどが破産、休止に追い込まれていきました。

昭和初期の社屋

昭和初期の社屋

▶️激動の時代の中で『集賛舎』は生まれた

1883年(明治16年)旧長尾藩士・市野泰孝が廃刀令と共に武士の身分が廃止になった後、部下を集め、千葉県館山市で石版印刷を開始。明治維新で廃業した武士が自らの力で産業に就くことが出来たという意味で『就産舎』と名付けられました。就産事業により設立された多くの結社・企業が消えてゆく中、劇的に変化する社会に対応しながら『就産舎』は困難な時代を一歩ずつ歩んできました。
そして、1918年(大正7年)大口の受注先だった安房銀行(現千葉銀行)と安房郡役所の応援の下に、地元の印刷業者二社を吸収合併し、資本金一万五千円の株式会社を設立。「多くの賛成協力を集めさせていただいた」ことから『集賛舎』と改められました。
昭和初期の大恐慌、敗戦、オイルショックなど幾度も訪れた困難を、『集賛舎』は創業以来より息づく「不易流行」の精神のもと、127年という変化する時代の波を乗り越え現在に至っています。

集賛舎の歴史(pdfファイル 1.1MB)

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